1964年のル・マン24時間レースでフォードGT40の速さにおびやかされたフェラーリは、1965年用に275/330Pを全面的に改良した車両がP2である。
275/330P2は排気量以外大きな違いはなく、この時代のフェラーリは、出場レースによってエンジンを使い分けていた為、その時の搭載エンジンによって275/330と呼ばれた。ここでは単にP2と表記する。
エンジンは275/330PのSOHCから、スーパーテスタロッサ以来のDOHCに変更された。
スペックは60度V型12気筒DOHCで、動弁はチェーン駆動2バルブ(吸排気それぞれ1)であった。
排気量は前年の3.3/4.0Lと変更なかった。点火系はバッテリー点火のままだったが点火プラグが2個に増やされた。
燃料供給は
ウェーバー製キャブレターのままだったが、吸入口径が拡大された40DCN/2を6基採用した。
圧縮比は3.3/4.0ともに9.8:1で、最高出力は3.3Lが350馬力/8,500rpm、4.0Lが410馬力/8,200rpmと向上した。
クラッチは前型と変わらず変速機の最後部に搭載されていた。トランスミッション、駆動系には大きな変更はなかった。
シャーシは、それまでの多鋼管を溶接して組まれたスペースフレームから、フェラーリのF1マシンと同じ、パイプで組まれた
センターセクションに、アルミパネルをリベット止めする工法で組まれたセミモノコックへと変更された
(フェラーリではこれを航空機と同じ工法ということで「エアロ」と呼んでいた)。
フロントサスペンションはPと変わりなかったが、太くなったリアタイヤのため、リアサスペンションはF1からのフィードバックで、
上部はIアーム、下部は逆Aアーム、これにそれぞれラジアスアームが付いた。さらにジオメトリーもキャンバー変化が少なくされた。
ブレーキはPと変わらず、フロントはアウトボード、リアはインボードにマウントされていたが、ブレーキディスクがソリッドから
ベンチレーテッドに変更された(このリアブレーキがル・マンでトラブルを引き起こすことになる)。
ホイールは、それまでのボラーニ製のワイアースポーク/アルミリムから、フェラーリ自社製のマグネシウム合金製へと変更された。
リム幅はフロントが8in、リアは9inに拡大された。
ボディスタイルはオープンルーフのスパイダーが標準で、このP2から風洞実験と実際の走行試験の結果、デザインが決定された。
ウエストラインは275/330Pより低くされ、前後のフェンダーが大きく張り出すスタイルになった。
ノーズはリフトを押さえるため地面に近づけられた。さらに高速時のダウンフォースを得るために、別体式のリアスポイラーが与えられた。
P2はセブリング12時間、モンツァ1000km、タルガフローリオで優勝した。1965年のル・マンでは、3台出場したが全てリタイアした。
ハードなブレーキングと長いストレートでの長時間冷却が繰り返された結果、P2から採用されたリアブレーキのベンチレーテッド・ディスクローターにクラックが入り、
エンジンブレーキを多用せざるを得なくなった結果、駆動系やエンジンに深刻な悪影響が及んでいった。
その結果、エンジンのオーバーレブによるバルブ破損と、クラッチ破損からギアボックスのトラブルに至り、リタイヤとなった。
なお、ル・マンにだけクーペボディのP2(S/N.0832)がエントリーしていた。